第9回強制連行調査全国集会第9回強制連行調査全国集会2

「強制労働と世界遺産問題」
第9回強制動員真相究明全国研究集会が3月5~6日、名古屋市の愛知労働会館で104人の参加のもと開催された。
初日は「朝鮮人強制労働と世界遺産問題」をテーマに行われ、7人が報告した。質疑応答の後、懇親会に移り、各地域での活動の報告と経験が交換された。2日目はフィールドワークがあり、参加者たちは追悼碑「悲しみを繰り返さぬよう、ここに真実を刻む」と「殉職碑」に献花し、挺身隊と徴用工犠牲者たちの冥福を祈って追悼した。


◇集会は強制動員真相究明ネットワークが主催した。まずネットワーク共同代表の飛田雄一さんがあいさつし、同じく共同代表の庵逧由香さんの司会で進行した。
集会では「名古屋三菱・女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」の小出裕事務局総務が「名古屋三菱・女子勤労挺身隊調査(追悼記念碑~99円、199円問題まで)を通じて『解決済み論』の誤りをただす」と題して特別報告した。
小出総務は1985年愛知県朝鮮人強制連行歴史調査団の立ち上げ、1988年12月4日追悼碑「悲しみを繰り返さぬよう、ここに真実を刻む」建立、そして戦後の日本が残した不条理に公正な審判を求める30余年間の活動を振り返り、国と企業側の「解決済み論」の誤りを糺した。
「支援する会」は99年3月1日、国と三菱重工を相手に名古屋地裁に謝罪と補償を求めて提訴、一審、二審とも敗訴し、最高裁に上告したが上告棄却で名古屋高裁の控訴判決が確定した。
判決では戦争中の挺身隊たちの被害がILO条約に反する強制連行、強制労働であったこと、人生を奪われた被害は今に至るまで続いていることを認定したが日韓請求権協定を理由に国、三菱に謝罪補償を命じなかった。
「支援する会」は最高裁に上告中から三菱重工に誠実なる解決を求め、毎週金曜日の早朝(8:15~12:00)、名古屋から東京品川駅に来て港南口と三菱重工本社入り口前で横断幕を広げチラシを配り、ハンドマイクで市民に訴え今も原告の皆さんを支援している金曜行動の活動を紹介した。
参加者は「支援する会」の活動に連帯の意を表した。

続いて韓国民族問題研究所責任研究員の金敏喆さんが「儒生日記から見た強制動員の実態」について特別報告をした。
金敏喆さんは日帝末期、植民地朝鮮に生きた保守的な知識人である儒生が残した日記を通じ労働力動員が強制性を有していたことを歴史的に明らかにすることによって「強制動員否定論」が実態的に間違っていることを立証した。
金冑現の「定岡日記」、金麟洙の「到育日記」、鄭観海の「観瀾斉日記」、この三つの日記は植民地権力の人員(労働力、兵力)動員だけでなく思想統制と皇民化政策、そして各種物資動員(供出、国防献金、強制貯蓄)などについて豊富な事例を提供している。

◇次に、竹内康人さんが「三菱重工業・三菱鉱業と強制労働-長崎の産業革命遺産を中心に」と題し報告をした。
竹内さんは産業に関する世界遺産は人権と平和の認識に資するように、資本、労働、 外交など、様々な視点から示すべきだとし、明治日本の産業革命遺産の登録にあたり、日本による侵略や植民地支配についての歴史認識は示されていないと指摘した。
報告によると、アジア太平洋戦争期の強制動員数について総数では日本への労務動員で約80万人、軍人軍属では約37万人が動員されたとみられ、明治産業革命遺産の構成施設については判明分ではあるが、三井三池炭鉱約9300人、三菱高島炭鉱(高島坑、端島坑)に約4000人、三菱長崎造船所に約6000人、日本製鉄八幡製鉄所に約3800人、八幡製鉄所運搬請負共済組合に約2800人、釜石の日鉄関連(鉱業と製鉄)に1500人、これらの関連の現場を加えれば連行朝鮮人は3万人を超える。
このような強制労働の実態があるにも関わらず、日本政府は朝鮮人の強制労働があったことを認めようとしない。植民地支配を認めようとせず、働かされていたが強制労働ではない、徴用は合法であるとみなす表現は世界から人権と平和に反するものと批判されるだろうと指摘した。
竹内さんは今回の明治産業革命遺産登録問題を契機に過去の清算に向けて、日本政府と三菱、三井、新日鉄住金などの企業は戦時の朝鮮人強制労働を認知すべきであり、それにより国際的な理念に沿った普遍的な価値を示すことができると述べた。

◇「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の河井章子さんが「三菱重工業長崎造船所強制労働被害者の被爆者手帳認定について」報告した。
河井さんは「強制動員」被害を申告した約23万人のうち、広島、長崎の動員された被害者に対しての「被爆者健康手帳」認定の支援活動を具体的に説明した。
「手帳」認定の現状について言えば、被害者の関連記録をすべて探し出し、求められる記録を提出しなければならないということである。
ところが被害者たちは「手帳」はおろか被爆の何たるかを知らずに生きてきた高齢者であること、そして広島は1945年8月6日、長崎は8月9日に被害者たちがそこに存在した証明が必要だが、70年を隔て証人を本人が探すことは極めて難しいと指摘した。そして本人の証言の軽視、「供託名簿の日本名が本人と確認できない」「陳述を裏付ける資料がない」「在職証明書がない」等々の「記録」提出を求められ、申請結果は却下というのが現状であると述べた。
河井さんたちは却下された三人の被害者の「記録」提出のため法務省、厚労省、日本郵政グループの担当者との面談、厚生年金加入記録の照会をはじめあらゆる支援活動を繰り広げていることについて紹介した。

◇集会では、廣瀬貞三(福岡大学)さんが「戦時下の三井三池炭鉱と外国人労働者」について、兼崎暉さん(八幡製鉄所の元徴用工問題を追及する会)が「観光スポット、歪められた教育資料として宣伝される『明治日本の産業革命遺産八幡製鉄所』」について、山本直好さん(日本製鉄元徴用工裁判を支援する会)が「釜石と歴史の継承-世界遺産問題から考える」について報告した。
廣瀬貞三さんは報告で、企業は政府の戦力増強政策に積極的に対応し生産性を向上するため暴力的に対応したこと、強制労働を強制された朝鮮人の日本に対する最大の抵抗は逃亡という形で現れたことがわかるとし、全他の報告では明治産業革命遺産登録の動きは近代化や産業化をナショナルな視点だけで美化し、痛みや反省のない、物語を作り上げて、観光で利益をあげようとするものであると指摘した。

(朝鮮人強制連行真相調査団事務局長・河秀光)